早世した人の潔さ哀しさ

早世した人って言うのは人の心に強く残るものなのかね。 
なんて言うか・・・生きている人間より綺麗な気がするんじゃないかな・・・。 
若くして死んだ人は特に・・・。 


若い・・・人生の一番いい時にこの世を去ってしまうのは潔くもあり哀しくもある。 
そう言う者に対して生きている人間は憧れにも似た思いで寛大になれる。 
良い思い出だけが増幅され理想化されていくんだろうね。 


こんな言葉を漫画で聞いた。
確か昔有名じゃった女優の写真を見ながら元カメラマンのジイさんが、
こんな事を喋りながら早世してしまったその女優を懐かしんでるってシーン。




ぼかぁ早世した人でもそうじゃなくても『人の死』に人間が直面して、
少し時間が経ってその人の事を思い出す時ってぇのは、
『あぁ彼(彼女)はステキな人じゃった。惜しい人を・・・』
とどんな人でも過去をある程度美化してさっきの台詞と同じ様に、
『良い思い出だけが増幅されて理想化されていく』んじゃないかなと思う訳です。
それで生前その人がどんな人間じゃったかってのはほぼ関係なく、
その人は『良い人じゃった』とずっと語り継がれて行くんじゃないかな、と。
まー、『死人に敵無し』って部分もあるんじゃろーけどさ。


例えば俺の中で『早世』と言えば尾崎豊氏が思い付く訳なんじゃけども、
彼は俺を含めて数多くの人の心の中に強く強く残ってて、
今でも年に一回命日の周辺辺りで彼の特番が組まれてる訳で。
それを見てファン、また彼と同じ世代を生きた人は画面の中の彼を見ながら、
ノスタルジーとかに浸りつつ昔の彼に関する思い出なんかを思い出してて。
で、『あぁ、尾崎豊って良い歌歌ってるなぁ』と多くの人の心の中で、
尾崎氏がどんどんどんどん理想化されていくんじゃろう。
また、そうやってどんどん理想化されるって事は、
彼の最期はある種の『哀しさ』を持ち合わされてるのかな、と。




その『哀しさ』ってのは人が死んだ時には必ず在る物なんじゃろーけど、
早世をした時はその『哀しさ』がより一層印象深い物になるのかな、と。
まぁそりゃ普通に考えれば志半ばで倒れてしまってるんじゃけーな。
そう考えた時、同情とか哀しみとかの類の物かどーかってのは知んないけど、
多かれ少なかれそれに近い物は誰でも必ずあると思うよ。
で、それが例え『志半ばで・・・』とゆー所から来る『同情』であったとしても、
きっと『人が死んだ』とゆー事実に直面した時はそれを『哀しみ』じゃと思い込むんじゃろうか。
・・・ま、この辺の事はこれから俺の周りの人が亡くなった時に分かってしまうんじゃろうね。

















―と、ゆーよく分からない事をカンニングの中島さんが亡くなったので、
今日1日中『早世してしまった人の潔さ、哀しさ』について考えてみてた訳で。
ま、結局話があまりにheavy過ぎて全くまとまらなかったけど。
きっとこんな事を考える事自体が生きてる中で意味の無い事なのかも知れないね。
じゃってこんな事、ある意味では人生の命題みたいなモンなんじゃし。