心のバリアフリーって奴だね


ネタが無いのでyahooを見てるとこんな記事が。

国際陸連(IAAF)は14日、両足義足の陸上選手で、アテネパラリンピック200メートル金メダルのオスカー・ピストリウス(21)=南アフリカ=が装着しているカーボン繊維製の義足が、規則で禁止されている機械的な助力を与え、公正な競技を妨げるとして、IAAF規則下の大会への出場は認められないと発表した。これにより、同選手が希望している北京五輪出場も不可能になった。
 IAAFはケルン大学(ドイツ)の教授に依頼して、昨年11月に同選手も参加して調査を実施。生体力学的、生理学的の両側面から検証された結果、同義足の生む効果として、障害のない選手と比べ、少ないエネルギー消費や地面をけった際の高い推進力などが確認された。
 ピストリウスは生後11カ月で両ひざから下を切断。カーボン繊維製の義足をつけて一般の陸上大会にも出場し、「ブレードランナー」の異名を持つ。ピストリウスは先に、IAAFが同五輪出場を認めなかった場合、スポーツ仲裁裁判所(CAS)などへ提訴する可能性を示唆している。 


正直これって認められなくても仕方ないと思うんですねぼかぁ。
結局オリンピックっていろんなスポーツの世界一を決めるモンじゃろ?
でまぁそこに色々と反発力の高い義足の人を装着してる人が来たり、
どんなバスケが上手い人でも車椅子バスケの人にマッチアップしたら、
そりゃぁ勝てないと思うよ。いやこれ結構ガチでね。


やっぱりスポーツに関してはパラリンピックとオリンピックってのは、
はっきり区別すべきじゃねーかなって思うんですよぼかぁ。
で、それは別に『差別』だとかそんなんじゃねーと思ってます。
事実障害のある人と無い人が一緒にガチで勝負するのって無理があると思える。
いや、差別とかそんなん関係なくね。


でもね、それ以外の面では障害のある人も無い人も一緒にやってけると思うの。
いや、障害があるないとかで物事を考えること自体がおかしい事なのかも知れん。
確か前にも言ったと思うんじゃけどもこーゆー事に関しての俺の理想形ってのはね、
例えば車椅子の人が居ても、『ああ、車椅子乗ってるんだな』って思うだけの世の中。
別にそれは悲観的な意味ではなくってね。
何つーか、今もし街中で車椅子の人を見たら、皆無条件で哀れみを感じてると思うんだ。
でもそれって大きな間違いじゃったりするんじゃないかな。


別に車椅子に乗ってるから可哀相でもねーし、
片足すっ飛んでるからって可哀想でもねぇわな。
末期がんだからって別に可哀想でもねーだろ。
むしろそれを可哀想と思うのが可哀想だろ。
その人達に『がんばれ』って言うのも完璧に俺らのエゴじゃろ。
そう言ってる奴らって断然見下してる気がするんじゃけどな。うん。